「8時10分前」に集合?――言葉の解釈と主体性のズレが生むすれ違い

最近、テレビなどでも取り上げられていたのでご存知の方も多いかもしれませんが、
8時10分前」という表現の解釈をめぐって議論が巻き起こりました。

ある企業で、新人達に「8時10分前に集合」と伝えたところ、8時になっても誰も現れず、
8時5分を過ぎた頃からようやく人が集まり始めたそうです。
指示した側は当然ながら7時50分の集合を想定しており、新人たちを「遅刻だ」と注意したものの、
新人側は「言われた通りに来た」と反論し、認識の違いから揉める事態になったといいます。

その後、社内でアンケートを取ったところ、
若い世代は「8時10分前」を「8時10分の直前(=8時5分~9分)」と解釈し、
上の世代は「8時の10分前(=7時50分)」と答える人が多かったそうです。

このすれ違いは、「8時10分前」という一見簡単な表現が、
前者には「8時10分の前」、後者には「8時の10分前」と違って解釈されることに起因しています。

もちろん、「最初から『7時50分に集合』と具体的に言えばよかった」とするのは一つの解決策です。
しかし、この話題の本質は「表現の曖昧さ」だけにとどまるのでしょうか?

たとえば、友人同士で映画を観に行く場合、
「上映開始が10時だから、10時10分前に集合ね」と言われたとして、
10時5分過ぎに到着しようと考える人はまずいないはずです。
そこには、「上映開始までに席に着く」という目的を共有し、自然と時間に対する意識が働いているからです。

ここで見えてくるのは、単なる言葉の解釈を超えた「主体性」の有無です。

「8時10分前に集合」と言われたとき、その言葉を文字通り受け取るだけでなく、
「なぜその時間に集合する必要があるのか?」「何のために?」目的を想像する力があれば、
「少し余裕を持って行こう」と判断することもできたはずです。

つまりこの問題の本質は、「曖昧な表現」そのものではなく、
指示を受け取る側の“目的意識”や“主体性”の欠如にあるのではないか――と筆者は考えます。

私たちの日常には、似たような“すれ違いの種”は数多く存在しています。
たとえば、こんな言い回しを聞いたことはないでしょうか。

「この作業、今日中にお願いします」→ 定時まで?日付が変わる前まで?
「後ほどご連絡します」→ 30分後?3時間後?それとも明日?

これらも文脈によって意味が変わる表現です。
多くの場合、なんとなく“空気”で補完されてしまいますが、相手がその空気を共有していないと
トラブルのもとになることは想像に難くありません。

今回は「7時50分と具体的に言えば済んだ話」であるかもしれませんが、
社会にはこうした“解釈のズレ”が原因で起きるトラブルが少なくありません。

しかも、家族や社内のような「暗黙の了解」が通じる関係であれば、
認識の違いを事前に埋めることもできますが、
世の中にはそうした“空気を共有していない人”の方が圧倒的に多いのです。

だからこそ、伝える側は具体的かつ明確に
受け取る側は「なぜ?」と一歩踏み込んで考える姿勢が求められます。

曖昧な表現を正すだけでなく、相手の立場や目的を想像する力こそが、
こうした認識のズレを防ぐ第一歩になるのではないでしょうか。

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